先週のアクタージュは生卵でした

気がつけばこのままでは3週間分の話を書かなきゃいけなくなったことに焦っている田中聖斗です。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

なんだか細々とやらなきゃいけないことが多くて、やっとこさ時間を作って書く次第であります。ちょっとジャンプのことは書けなさそうなので、せめてアクタージュでも!!ということで書きます。二週まとめて同日に。

(以下ネタバレ)

先週号 scene68.変身

今回の夜凪は最初の1ページだけ登場。

しかも、あくまでも「サイド甲」として、こっちではこんなこと起こってまっせーという表現のためだけに出演です。

今回の主役は、あくまでも別室の「サイド乙」

「乙」って二番手というですが、やっぱりハリウッド俳優(と主人公 夜凪)がいるほうが甲なんでしょう。でもあえて、「乙」という言葉を使う意味はあるのでしょうか?

プロモーション的に見れば、いくら西遊記という中国をテーマにした物でも、「甲」と「乙」なんて、甲の方がいいような感じが受けてしまいますが・・・。

主人公 夜凪を見出した事務所の社長でもあり映画監督でもある黒山の助手 柊が、うれしそうにロウソクに火をつけています。今回は顔合わせであり、読み合わせでもあります。

だったら雰囲気作りが大事だよねということで、舞台となる、羅刹女が住む燃える山、「火焔山(かえんざん)」を再現しているそうですが、なにぶんちゃんと西遊記を読んだことがないので、なぜロウソク一本で燃えさかる山を表現しているのかはわかりません。

舞台というのは映画と違って実際の縮尺とは違うものを「まるでそうだと思わせる」演出によって成り立つのですが、そういった意味でしょうか?

とりあえず、日本での評価はさほどだけど、世界的評価は高いという、奇才 黒山のことですから、なにか考えがあるのでしょう。

暗闇の中でざっと通し稽古をさせることにした黒山。気になっているのは、「スターズの天使」と呼ばれる百城千世子が、どれだけこの仕事に賭けてきているのかです。

そして舞台は突然、まさかの、あの、サイドストーリーとして単行本収録かと(私の中で勝手に)危惧された

 

千世子&阿良也の吉野家で牛丼デート

 

に移ります。
というか、前回の「吉野屋」というキン肉マン的な文言は狙ってたんじゃなくて単に誤植!?

そこら中に広告が張り出されるような人気若手女優、百城千世子がまさかの吉野家で牛丼。

居合わせた人もチラチラ見ます。

しかし、

「天使が牛丼!?」

とばかりに、あまりにもミスマッチすぎて、にわかには信じられません。

そんな世間の目を覆すことはせず、「私は天使なの」ということに徹する千世子。

家ではキムチととろろで牛丼をかっ喰らっているそうですが、衆人の目があるところでは、「もっもっ」とかわいく牛丼を頬張ります・・・いつになったら食い終わるのか?? という心配もありますが、それよりもイメージを壊していきたいのではないのか? という疑問も湧きます。

 

イマイチ気持ちが計りかねるのは隣に座る阿良也も同じ。

阿良也は変人ですが、意外と常識人なので、謎を自ら演出する千世子の扱いに困るわけです。阿良也的にいうと、「匂い」を感じないというか。

阿良也としては完全に役に入りきるタイプの役者で、相手もそれができることがのぞましい。っていうか、相手のことをよくわかるために飯食いに来たのに、オマエはどっちなんだよ! というのが正直なところでしょう。

だから、阿良也は突っ込んだことを聞くことにしました。

サイド「甲」の主演俳優、ハリウッドで活躍する王賀美陸について。

千世子と同じスターズの出身で、スターズに多額の違約金を払って日本を飛び出した男。それは、「スターズの顔」として徹底的に演じきっている千世子とはまったく真逆の存在です。

優れた作家、演者というのは、優れた観察眼を持っています。

だからこそ、他の人が気づけないようなことも気付け、それを形にしていくことが出来ます。なので、それが出来ない人はそのセンスを磨いていく必要があります。それは才能もありますが、技術でもあります。

一流の役者である阿良也は、本人が「匂い」で感じるという、その鋭い観察眼で千世子にとって王賀美陸が「特別」な存在であることを指摘します。自分の共演者が、ライバル側の自分と同じ役を演じる役者に対して、気後れなんかでもしていたりしたら、勝ち目は一切ないからですね。

千世子、オマエはどうなんだ!!

と熱く語らず、淡々と切り込んでいくのは阿良也流です。

 

そして千世子から語られたのは、王賀美を目指して星アリサに育てられたという過去でした。

 

またも星アリサか!

 

おそらく彼女はこの後も、この若い役者たちのことを客観的に見守る役割と見せかけて、もの凄く感情を込めて役者たちのことを見ていくことになるのでしょう。ツラい役回りです。

そして、そんな星アリサの期待に応えて「作られた」千世子は、自身の俯瞰力で持って自身のことを「偽物」と語り、阿良也は、それを自覚している千世子に対して、ならどう挑むのだと問います。

千世子が出した答えは――

なんと吉野家の卵を丸呑みして見せます。

そして場面は最初の読み合わせに戻り、孫悟空である阿良也が小さくなって、羅刹女の中で暴れ回るシーンになります。

余談かもしれませんが、映画の場合は今ならこういうのはCGを使ってお腹の中にいるシーンを再現すると思うのですが、舞台の場合は、お腹の中にいる人間と、お腹に入られた人間が同じサイズのままです。

だからこそ、舞台装置としてお腹の中にいるような演出をするのですが、役者自身も、それが滑稽に映らないような演技をする必要があります。つまり、演技力が必要だってことですね。

そんなことを考えてのこのシーンなんでしょうが、そのために千世子がした選択が、卵の丸呑み。そしてもたらされたのが・・・

主人公 夜凪が独力で身につけた、疑似体験したことを表現する、「メソッド演技」です。

お腹の中に異物が入り、のたうち回るという体験が普通の人はありませんから想像するしかないのですが、そうではなく、実際に異物を入れて苦しみを体験して、その時の体験を演技に活かすということです。

 

千世子は、天然マグロの夜凪と違って、完全養殖の近大マグロです。

子役からやっていることから身についた「求められる」役割を察知して、すべて計算で演技を行うのですが、そんな千世子が、何も考えずにやってきた夜凪が持っていたスキル「メソッド演技」を取得したのです。

驚く黒山と助手の柊。

 

でも、黒山は冷静です。「メソッド演技」は

「天才たちの武器じゃない 努力次第で誰もが体得しうる技術」

だということを思い出します。
そして、だからこそ、役者生命を終わらしかねない危険な技術だということを――

それを自身で経験してきた星アリサは、そのことを知っている黒山に、「そういった」ことも含めて千世子のことを頼んでいました。星アリサ自身、黒山自体がそれを止めないことをわかってはいても、せめて、その苦しみをわかっている黒山になら――という意味で、千世子側の演出に黒山を指定したのでしょう。

黒山自身は、そんな星アリサの心情に理解しつつ、自身でも千世子の未来に不安を感じながらも、「役者の演技方針に口出ししない」信条から、改めて千世子に問います。

「本当にいいんだな」

「うん、勝てるなら」

 

たしかにこれは「新しい百城千世子」だ。

でも、これが「風前の灯火」になりはしないかと。

監督として大事なのは作品。だから役者が潰れてしまうことも、望んではいないけれども、止めることができないのも事実。それはちょうど、プロスポーツの監督が、勝つために限界まで選手を使うのに似ています。

どちらが正しいとかではない。

プロは自分の人生を自分で決める。

そして自分の目的のために、何かを犠牲にする。それが出来る人が結果を残す。

結果を出すために、その後消えゆくことが、決して悪いこととは言えない気もする。野球なら、故障して引退しても、次があるから。

でも、役者の場合、「その人間」になりきるということは、人生そのものもなりきってしまうという怖さがついて回る。つまり、「体」じゃなくて「心」が壊れてしまいかねないということだ。

 

それでも、千世子はこの選択をした。そうでもしなきゃ、自身の「オリジナル」である王賀美陸には勝てないし、自身より才能のある夜凪にも勝てない。

この選択が吉と出るか凶と出るかわかりませんが、とにかく、悪魔と手を結んだ感の強い「サイド乙」ですね。そういう意味では「陰陽」の「陰」の意味を持つ「乙」というネーミングもあながち間違いでもないのかもしれません(甲は「陽」です)

黒山も含めた彼らの動向に目が離せません!

 

・・・でも、生卵ってのどに入れたら潰れない? それはヘビだけ?

 

(出典:週刊少年ジャンプ 2019年28号 『アクタージュ』scene.68 変身)

       

「天使」の千世子はこちら

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