先々週のアクタージュは「スーパースター」のなり方でした

こんばんは、気がついたら三連休でまたジャンプが月曜じゃなくて土曜に出ていることに気づいた田中聖斗です。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

というわけで、アクタージュ考察も三話分書かなければならないため大変なことになっているわけですよ。とりあえず、先々週分からいきます。

(以下ネタバレあり)

 

scene.71 2日目

今週もセンターカラーいただきです。

かなり編集部もプッシュしてるので、映像化するのは時間の問題ですが、実写化はやめてほしい!!

 

扉絵は、新しい世界を見つけた主人公 夜凪景と、それを導くメンターになった、演出家 山野上花子。

 

今回のタイトルは「2日目」。

夜凪が主演を務める舞台『羅刹女』の読み合わせで、ハリウッド俳優 王賀美陸に圧倒されてしまった夜凪は、「そうだ、私、火山とか見たことないし」と思い立ち、学校に通学する前に山に登ってきたんでしょうね。セーラー服でズンズンと山を登って、出逢ったのが、絵描きで彫刻家であり小説家でありこの舞台の演出を務めることになった原作者の山野上。

そんな山野上と過ごす「2日目」ですが、それは、要するに、修行でした。ええ、セーラー服のままです。

 

ドラゴンボールで孫悟空がカリン塔でカリンさまに修行をつけてもらうような感じ?

夜凪は着の身着のまま来たので、セーラー服のまま修行を続けます。何の修行? 神である「羅刹女」になりきるための芝居です。

前回、山野上のアドバイスにより、「外の世界に想いを馳せる」力を身につけ、想像力でもって神々の力を再現した夜凪。

それは正直「たまたま」なんですが、そう思わせないような雰囲気を醸し出さないといけないので、それができるように修行するわけです。

そこでの修行は、今にも落ちそうな枯れ葉を、自分の「神としての」力で落葉させてみせる、というような、マンガ的な方法。

これって、これ自体絶対意味ないヤツで、本当は別の所に目的があるんだぞ、みたいな感じでしょうか? ドラゴンボールの亀の甲羅を背負ってバイトする的な。

 

前回のように「自分の力(と思っているもの)」で、雲海を晴らした夜凪ですが、落ち葉には苦戦します。それでも、「落ちろ×16」と言い続けて、その「神通力」が届きます。

喜ぶ夜凪に、淡々と

「できて当然のことをして喜ぶのは できて当然だと信じられていない証です」

となかなかに冷静なコメントを残す山野上。

「この炎だって 芝居の中でなら操れるのが役者でしょう?」

前回、山野上が夜凪に「手からビーム出ます?」と質問した意図はまさに、「私は炎を操れる」と当たり前のように思えるのが役者じゃないかという一つの想いから来るのでしょう。
絵描きで彫刻家で小説家であるという、さまざまな分野でクリエイターとして活躍している人間として、創作への強いこだわりを見せる、印象的なシーンです。

たしかに、シュート練習で入ることを喜んでいるのは基本的に素人か下手くそで、端から見るとシュートを決めて「当たり前」みたいな雰囲気を持つ人こそ、まさに「スーパースター」。コイツならやってくれる、という期待を負う存在です。マイケル・ジョーダンです。マラドーナです。

夜凪も、こういう存在にならなければ、とてもじゃないですが王賀美陸と渡り合えない、ということです。

なぜなら、王賀美陸はこの「当たり前」という感覚を如実に体現しているからです。

「俺は誰かに教えを請うたことがねぇ」
「必要なものは持ってる奴から奪うか」
「あるいは初めからもっていた」

そこには、「努力しました!」というアピールもなければ、「才能がある!」というアピールでもない、ただただ淡々と、それが「当たり前」のことすぎて、語るまでもないのだという強い意思、強烈な個性の源が見えてきます。

ただ、この作品は打ち切りされるマンガと違って、脇役にも見せ場をしっかり作るので、売れるために自己アピールを必死にする武光を使い、その部分の「側面」を描いているのが良いところです。
金子みすゞじゃないけど、「みんな違ってみんないい」というわけですね(あれ?前も使ったか?このネタ)。

武光は、自身には得られないスーパースターの人生を、うらやましがる気持ちはあっても、今、演劇に「のめり込んでいる」自分からすると、その「熱中」を感じられない人生を送る王賀美に「少し寂しい気もしますが」と本音を漏らします。

どんな世界でも、トップになればある部分の達成感があり、モチベーションが続けられなくなる、という話を聞きます。スポーツ選手が、ボロボロになるまでじゃなくて、ピーク時に引退するというのもそうでしょう。

バスケットボール界のスーパースター、マイケル・ジョーダンなんてまさにその典型で、その後メジャーリーグに挑戦しちゃったりしました。

そういえば、先日、知り合いの知り合いの知り合いの社長さんが、M&Aで自分の会社を売って、サラリーマンが一生働いても稼げない、一生遊んで暮らせる金額を手に入れたのですが、自分が一代で築き上げた「仕事」を手放したことで人生に張り合いがなくなって鬱状態・・・なんて寂しい話も聞きました。

 

人間の欲求にもキリがありませんが、達成感というのもキリがありません。

なんでも上手くいってきた王賀美陸だからこそ、そういうことをくりかえしている内に、「うまくいく」ことに飽きてきたのでしょう。夜凪(新宿ガール)と黒山に期待したのは、その退屈を埋めるため。

新しい世界を見られるかも、という期待からでした。

そういう意味で、夜凪が「新しい世界」を手に入れようとしている扉絵は象徴的ですよね。

完全に手に入れたわけではなく、かといって目指すべき所はしっかりと見えて、自身をまばゆいばかりの明るい光で照らしてくれている・・・そしてそこに慌てて突撃して自分を見失わないように、メンターがしっかりとそばにつき、でも、目指すべき方向性を間違わないように、しっかりと顔を抱え込んでいる・・・・深い、深いですねぇ。

週刊マンガでこれをやるって、マンガ家さん(宇崎しろ氏)はすごすぎですね。

 

さて、そんな王賀美がなぜ、夜凪を待っているのか?

「ガキと言えど 一人の女が俺を喜ばせようと願っいる お前 その願いを無下にできるか」

という、イケメンな想いから。

夜凪からは「前髪三本男」などと言われてしまう王賀美ですが、さすが、スーパースターは自身の考えというか思想信念にこだわりがあり、それがブレない。「カッコよくしよう」とか、「こう思われちゃうかもしれないから」・・・なんて思いません。

お笑い界でいえば、ダウンタウンみたいな感じでしょうか?
若くして売れた自信が、そうさせるのだろうし、逆に、売れるまで時間がかかり苦労してきた人(謹慎中の宮迫とか)からすると、マネできない格好良さを作るんでしょう。

 

とはいえ、だからこそ、アクが強く、そうそう自分の考えを曲げないからこそ、王賀美陸は、自身をその気にさせておいて幻滅させた(と思っている)プロデューサー天知を完全に干す気でいます。

ちなみに天知が椅子に座っているのは、先週号の「禅とは心の在り方だ」を受けて、「じゃぁ、私はこれで」という感じで椅子にすわって「禅」をしているつもり・・・この人はどこまでもマイペースを貫くのですが、王賀美や夜凪を集めたのも、「この人なら」という眼力には信念を持っているからというのがあるのでしょう。

自分に彼らのような『才能』がないだけに、才能がある人間とそうでない人間の違いがよくわかる、というところでしょうか。きっとその内、天知のエピソードもやると思いますが、実は夜凪の父親と深い関わりもありそうな・・・・ことはないですかねぇ?

 

さて、場面は変わり、夜も更けた山の中。

修行を続けていた夜凪は、山野上の目の前で、さっきまでシュートを決めて喜んでいたような子どもから、大きな変化を見せます。

夜凪が世界から「新宿ガール」と呼ばれることになったMVを撮影した時のように、夜凪が、黒山のカメラに合わせて動くように、黒山が、夜凪の動きに合わせて動くように、どっちが先ともとれないような感じで、炎の動きに合わせておどる夜凪が、あたかも風を操り炎を動かしているような「錯覚」をもたらします。

そこで山野上は、ある想いにたどり着きます。

「芝居の起源は神楽」と、日本における「神」の考え方が書かれている古事記と結びつけ、「芝居の起源というか本質は、神とのつながり」であるということ。

目に見えない神というものがもたらす「力」を、それを構成する要素(風とか温度とか)を感じ取って再現したように見せてきた「芝居」が神の根源ではないか・・・というのは言い過ぎか?怒られるか?

 

そんな山野上の求めた修行で「神」に近づくことができた(気分になった)夜凪。

そんな夜凪に、山野上は、演出家として本来行くべきだった「顔合わせ」に行かなかった理由を告げます。

王賀美陸が助演であれば、自分の羅刹女が飲み込まれてしまうから・・・

だから山にこもっていたのだと。

 

しかし、夜凪がつかんだ「神」という表現を見た山野上は、夜凪なら行けると確信します。

今日は2日目の夜。このまま山を下るのは危険だから、明日の朝一で山を下りて王賀美陸の所に行こうと告げる山野上。

 

そして翌朝・・・・

 

残念ながら外は雨

山野上花子は変人だけど30の大人

ブラック企業の上司みたいに、なんでも気合いで解決すると思っている人ではなく、常識的にこの状態で山下りは危険だと告げます。

しかし、夜凪は・・・

完全に「神に近い自分」というモードに入ってしまっていました。

この辺は週刊誌としてしっかりオチをつけて、次号に期待させる、という演出だと思うのですが、たった1日の修行でここまで変われるって、演劇の学校に行って基礎とか入れてる人だったら絶対ムリだよね。

そういう意味で、こういった「普通じゃない」プロセスで成長していく人間のドラマが面白く感じ、逆に、「普通の」プロセスで来た(武光みたいな)人からするとコンプレックスを刺激する要因にもなったりするもの。

それにしても、夜凪は無事、下山して、王賀美陸の所まで行けるのか?

 

この状況で、山野上がどうやって夜凪を安全に下山させるのか?

もう先週に答えは出てしまっているけど、乞うご期待!

 

(出典:週刊少年ジャンプ 2019年31号『アクタージュ』scene.71 「2日目」)

       

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