先週のアクタージュは「できないをできる」に変える方法でした

日曜に書くはずが間に合わなくて、次の日曜日になっている田中聖斗です。つまり、約二週間前の話を書いています。

皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

まぁ、あくまでもここは、最新話を公開する場ではなく、アクタージュを世界で一番分析する場所なので、これでもいいはずです!

 

(以下ネタバレあり)

scene.70 外側

今回の表紙は、演出家 山野上花子です。

いきなりノースリーブで登場ですが、本編では山岳服を着ているだけに何か意味があるのかと疑ってしまいます。

とりあえず、よくよく考えるとこの作品は、演劇を扱っているわりに「オトナの女」という立ち位置のキャラが星アリサくらいしかいませんし、アリサも成人した子ども(星アキラ)がいる、おそらく五十代のどっちかっていうとマダムなので、ようやく、三十代の、オトナの色気のある女性キャラ、という位置付けなのかもしれません。
口元にホクロまでついていますし、涙ボクロの女優 市子さん(20)も含め、作者は「ホクロ=セクシー」と考えている南野陽子世代でしょうか??

それが女優じゃなくて演出家というのも、マンガらしくていいですが。

さて、制作サイドのそんな期待をかけられた(と勝手に想像した)山野上花子。

名前からしてどう考えてもそんな路線じゃない気もするけど、今回はベールに包まれた彼女の紹介回です。

 

「ここから突き落としたらどうなるかな」

というちょっとした好奇心から夜凪を突き落とそうとした山野上。そんなことがなかったかのように、共演者であるハリウッド俳優 王賀美に勝てない悩みを抱えている主人公 夜凪景の相談にのっています。

そうです、芝居のためなら、好奇心で人を殺しかねなかったとしても、そんなのささいなこと。とにかく、王賀美にどうやったら勝てるのかしか考えない夜凪からしたら、事務所の社長でライバル組の演出になった黒山のアドバイス通り、自分の側の演出家に助けを求めます。

しかし、そんな山野上の発した言葉は、

「手からビーム出ます?」

という謎質問。

普通に考えたら出ないんですが、むしろ山野上からすると

「え? 出ないの?」

くらいの反応です。何でしょう、禅問答でしょうか?

場面がお寺に切り替わり、「坐禅中」という王賀美と天知。

天知から「山野上は良い、美人だし」と告げられます。やはり、山野上は、このマンガで美人女性キャラ路線で行くのでしょう。

「禅とは心の在り方 俺は常に座禅している」

とうそぶく王賀美ですが、内心はテメエぶっ殺すぞこの悪徳プロデューサーが!と思っているだけに、天知に対して恨み辛みも出てきます。そう、山野上花子は何者なのかを彼らが説明してくれるわけです。

山野上花子は演出家じゃないどころか、脚本家でもない!

なんなら、画家で彫刻家で小説家という、なんか超天才作家として紹介されます。美人で超天才・・・マンガならではですが、マンガならこれくらいの人物設定をしないとダメだなと痛感します。

『タッチ』の朝倉南だって、勉強もできてスポーツもできて、美人でモテて、性格も良くて、家事もできて家の手伝いもして、男遊びもしない・・・明石家さんまが「大好き」というキャラでしたもんね。

       

しかしそれを、まさか30才の女性に、少年誌で登場させるというのは、『アクタージュ』くらいじゃないですか??

ジャンプに連載中の『ブラッククローバー』に登場する、30代の美人魔道士メレオレオナなんて、美人で超強いのですが、「莫迦者どもがぁー!」と鉄拳制裁も辞さない好戦的人物だし。

まぁ、それゆえにキャラが立つ、のかもしれません。

 

さて、

「そんな色物混ぜんじゃねーよ」

とお怒りの王賀美陸を置いておいて、場面は山に。

ビームを出せないと「思い込む」ということは、人以外のものを演じたことがないでしょう? 夜凪サン、と山野上に指摘され、神様の気持ちになって演技の練習を始める夜凪。

「頭が高いわよ この人間が」

混乱して普通の人よりひどいんじゃないかという演技の出来に困惑する山野上。

自分で突き飛ばして夜凪の可能性を開いたように見えたのは期待しすぎだったのかと思うわけですが、その「期待」の正体が、

あの人の娘だと聞いていたから」

という、夜凪の父について知っている風なことを匂わせます。

来ましたね。

ジャンプ得意の、才能ある人間は必ず超偉大な人物の子ども設定(ナルトしかり、ワンピースしかり)。

子どもの頃の私は、こういう設定好きじゃなかったですね~。「結局才能じゃん」みたいなのが。

だから、『とっても!ラッキーマン』の努力マンとか応援しましたもん。

       

でも、これがジャンプの王道といえば王道。

才能もあって、気持ちも強い。経験はないけど、経験を強烈に積んで、劇的に成長する・・・『スラムダンク』の桜木花道がそんな感じ。

 

夜凪の場合は、父親のことはよく知らないけど、家に映画のビデオが山ほどあって、生きてて毎月お金を振り込んでくれるけど、それを夜凪が使いたくない、ということなので、著名な演劇関係者であることは散々匂わせてきたのですが、その、夜凪の父と面識があることを知っている人物が出てきたのは大きな伏線です(黒山の師匠もそうだと思うけど)。

おそらく、山野上の年が今30で、10代の頃から活躍していたということで、夜凪が、山野上のその変わった遍歴に強い影響を及ぼしたということでしょう。

いかにもジャンプ的な、「師匠と弟子」の設定が、まさかの黒山監督じゃなくて、ぽっと出の演出家(なのか?)に委ねられるとはまったくの想定外。

 

そんな山野上の夜凪への修行は、意外とまともなものでした。

「あなたに足りないのは 外側への想像力です」

様々な創作分野で天才的な実績を残した人間というと、ついつい孤高の天才肌という感じがしてしまいますが、山野上のアドバイスは、普通の会社の先輩のような、ごくごく当たり前のことでした。

でも、才能があるとはいえ、演劇の学校に通ったわけでもなく、ただただ映画を見続け、独学でメソッド演技を極めた夜凪には、千世子の時もそうでしたが、明らかに欠けている視点です。

 

山野上の言っていることは、千世子のように、外側の「視る」人たちからの視点というよりは、どちらかというと、外側に「ある」視点とでもいえばよいのでしょうか。

山野上が語る、自身の過去からは、その、外側についてファンタジックに語られます。

「私 コロポックルと友達だったんです」

 

30代ヤバい女子来たー!

・・・となりがちですが、いや待て、話を聞けと続ける山野上。

 

北海道の何もない山奥で育ち、ひとりぼっちだった山野上の友達はコロポックルのフキコちゃん。たぶん、フキノトウだからフキコちゃんなんだと思うけれど、一緒に雪だるまを作ったり絵を描いたり本を読んだりしたそうです。

しかし、そんなものは空想上の産物といってしまえばそれまで。

でも、それを空想上の産物と言ってしまえるのは、「それが空想で現実じゃない」という、外からの声です。

コロポックルという、外の存在と、それをかき消すような外の存在。

果たしてどちらが正しいのか?

そういった「感性」を持たない人は、創作する才能がないと言っているような気もします。

「私にはもう フキコちゃんが見えません 私は大人になってしまったから」

山野上は30です。

様々なジャンルで成功を収める「異能の天才」とも言えるかもしれませんが、社会の中で生きる一人の常識人でもあります。10代20代なら、非常識でも生きていられる。でも、30にもなれば、それだけじゃ生きていけない。

かといって、コロポックルのフキコちゃんと一緒にいた自分という存在を否定することが、自分にとっていいことなのかどうか?

山野上は「三十路の女」として、親から作家をやめて結婚しろと言われているなど、「不自由な現実が私たちを大人にする」と語ります。この辺は、いろんな世界を見て来た女性ならではの視点でしょう。

そしてそれは、「女」という性だからこそ、より「常識」を押しつけられてしまうことを、山野上は、一人の女性として語ります。

私みたいに子どもの頃から創作で生きていきたいと思っていた人間からすると、「作家をやめて結婚しろ」なんて、よくあるセリフを吐く親の元に生まれるのは本当にかわいそうだなと思います。ウチなんか自由主義過ぎて、逆にこういった束縛ないからこそ、創作にマイナスなんじゃないかとすら思うくらいでしたよ。

 

そんな我が家とは正反対の環境に育った山野上は、自分を束縛する、そんな鎖を断ち切るために物を創っていると語ります。

「そしたら きっとまたいつか フキコちゃんに会えるはずだから」

そこで語られたのは、夜凪を突き落とした真意。

不可能なことを可能に出来ると信じられるのは、虚構の世界を信じられる人間とも言えるのかもしれません。

演劇や創作をやっていた人が、案外リアルの社会に出て、普通に活躍するのもそんなところかもしれません。限界を決めず、常識に囚われず、出来ないことも出来ると信じ、そして実現するための努力ができる人、という意味で。

実際、「自分にはムリだ」という人があまりにも多いです。

それだけ、「お前にはムリだ」ということを言われ続けて来た人も多いのでしょうが、それだけでは恐らくないでしょう。そこに反発して、「できる」と信じて実現してきた人もいるわけですから。

 

山野上は山々に向かって、なぜか「花子ちゃん」を大声で叫び、山彦が返ってきます。

でも、その山彦が「花子ちゃん」と呼んでるように、コロポックルが呼んでいるように聞こえるのだと。

ここで、やべえヤツじゃんということも出来なくはないですが、自分の中にある世界にもかかわらず、実際には外にあると認識するということが、山野上の指し示した「外側への想像力」といったところなのでしょう。

夜凪に対して想像力を働かせて、羅刹女(らせつにょ)の住む火焔山(かえんざん)にいる自分を作り上げろと促す山野上。

目を閉じて、美しい表現力を元に夜凪の想像力を刺激し、そして目を開けて飛び込んできたのは・・・

カエル!!

 

なぜ笑

一体何を想像していたんだ、夜凪よ。

 

山野上には見えていないそのカエルに突っ込むことはなく、風が出てきたことを利用し、夜凪に手を出せと促します。

風は炎を消し、夜凪の突き出した手の向きに風が流れていき、目の前の雲海を吹き飛ばしていきます。

あたかも、夜凪自身がやったかのように。

しかし師匠は厳しいので、

「いいえ あなたがやったんです そう信じればいいんです」

と、そんな謙虚な姿勢はいらないと説きます。

夜凪が圧倒された王賀美陸には、そういう力があるからだと。

たしかに、不可能を可能にする人は、不可能だと信じないという特技を持っています。これは、意識している人もいれば、自然とそうなっている人もいます。だから、夜凪もそうすればいいんだということを、自らの体験で持って教えたのが、師匠 山野上。

「常識なんてクソ喰らえと 退屈な世界を否定するのも私たちの仕事」

「ようこそ私の世界へ あなたはもっと強くなる」

・・・とまるで、億万長者専門学校のクリス岡崎みたいな終わり方をした山野上。

 

でも、一種の自己啓発であり、一種の洗脳でもあるのも事実。しかし、それを武器に「戦え」と。お前にはそれが出来ると、夜凪を導くメンターとして、山野上が導いていくのです。いわゆる、自己暗示ができるためには、自己暗示するだけの世界観を作り上げないといけないのだと。それは、自分の中にあるものだけでは、足りないということだろう。

これはきっと、山野上自身が、夜凪の父親に言われたことも影響しているんじゃないかという伏線でもあり、この、ダブルキャスト編の大きなテーマになっていくんじゃないかなという伏線でもあるのだろう。

退屈な世界を否定するために。

 

        「あさひな」も活躍する高校編を収録した7巻が7月4日に発売。

ちなみに今回は70話でしたよ。

7に乾杯!

(出典:週刊少年ジャンプ2019年30号 『アクタージュ』scene.70 外側)

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