今週のジャンプはストライクゾーンを考えさせられました

来週はゴールデンウィークということで、次のジャンプの発売が土曜日ということにネットニュースを見て気がついた田中聖斗です。

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

今週号(2019年21号)のジャンプ表紙は、連載一周年の呪術廻戦でした。おめでとうございます。

ちなみにこのブログで『呪術廻戦』を取り上げないのは、なんか、取り上げにくいからです。バトルが多いから。

ワンピースもそうですね。
まぁ、ワンピースは語る人が多いから別に私が語らなくてもいいでしょ、ぐらいの気持ちもありますが・・・尾田栄一郎の最初の読み切りから見てはいますよ?もちろん。

 

そもそも、バトルって、考察を入れにくいです。
あと、個人的にはそこまでバトル重視じゃないので・・・でも、おもしろいマンガだと思いますよ、『呪術廻戦』。

       

絵は好き嫌いあると思いますが、それぞれのキャラが立っているし、主人公の成長と戦う理由も必然性があります。

 

逆に言うと、主人公の戦う必然性が弱い作品は、なんだか順位が危ないですよね。

 

(以下ネタバレ)

ネオレイション

世界中の医療データをハッキングして医療の進歩を促進する、という人がやってはいけない禁忌のハッキングした割に、それが罪に問われず、肝心の助けたい女の子も救えなかったネオ。

それでも、今、「友だち」というのが出来て、その一人の同級生がお気に入りのウザチューバー(ユーチューバー的なもの)で、その子が誘拐されて、これまで助けた絡みの仲間と共に、悪党を駆逐する・・・

まるで打ち切りのようなページで終わりましたが、続きます。

なんか・・・よくわからない。

とりあえず、ジャンプの三本柱「努力」「友情」「勝利」の「友情」を入れたのだろうけど、どうにも盛り上がらない。発想が中学生みたいだし。

少年誌で「ハッキング」という設定が難しい気もするので、同情の余地はありますが、なんか、結局、色々もったいないままで終わりそうな気もします。

『呪術廻戦』みたいに、読者置いてけぼりにしているように見えて、読者がちゃんとついてくる魅力がほしいですね。少年マンガはやはりキャラですかね。がんばってほしいものです。

 

獄丁ヒグマ

戦う必然性は描かれているんだけど、テーマが真面目すぎるのか、他のキャラがまるでインパクトがないからなのか、イマイチ評価が上がらない『獄丁ヒグマ』。

今回は、父親と叔母が目の前で殺された、子どもの頃のエピソード。

亡者への想いやりも自分の甘さから来るものだったという、主人公の戦う必然性と物事の真理をちゃんと描けていると思うんだけど、じゃぁ、マンガとしてどうなんだと言われると・・・それを誰が求めてるんだということなんでしょうか?

個人的には好きなシーンですが、じゃぁ、ジャンプシステムの「面白い」というアンケート評価につながるといえば恐らく「NO」なんだろうね。

そういう意味で、ちょっと残念。

でも、打ち切りマンガにありがちな名シーンで個人的には好き。これをストレートに書いちゃ、ダメなんだろうねぇ、少年マンガってのは。

 

プレゼントをもらうためにアンケートを書く子どもたちが対象だから、ストレートは必要だけど、子どもたちが打ちたくなるようなボールじゃないとダメ。

たとえるなら、「誰にも打てない180km/hのストレート」は誰も求めていないというか。そんな投手がいたらスゲーけど、実際そんな試合が何試合も続いたらスゲーつまんないじゃん。そんな感じ。

そこへ行くと、ワンピースとかコナンとか、ダラダラ進むように見えて大人からしたらたるく見えますが、その場その場で笑いや興味を引くような「しかけ」がされていて、そこも長く人気を集め続けていられる秘密なのかなと思います。ノリツッコミとか。

これまた野球に例えると、「打てそうな球」が来る感じ。

でも、それを「打った気にさせる」のがうまいというか・・・読者が狙っている球を投げるように見せかけて、芯を外して思いどおりに打ち取る

そんなことがワンピースやコナンでは行われている気がします。だから、いつまでたっても終わらないんですが。

・・・野球がわからない人にはわからないネタですみません。

 

最後の西遊記

戦う必然性が割とシンプルに示されているのは、つい最近の新連載『最後の西遊記』です。

ナゾの少女を守るため、孫悟空の武器「如意棒」を使う少年が成長していくという(たぶん)お話ですが、今回はちょっと想像の斜め上を行っていました。

広がれ!!如意棒――!!

 

斬新。

確かに、「棒」ってついてるけど、伸びるだけしかできないなんて誰が決めたんだと

「伸びろ如意棒」で、『ドラゴンボール』でカリン塔の屋根にブッ挿した時以上の利用方法は、「ゴムゴム」以外に生まれないと思っていましたが、こんな利用方法があったとは!!

作者のセンスに脱帽です。

ついでに、この回では、伸びた如意棒が途中で分岐したり、人の手の形になったり、逆に何でもありな感じになっていました。

丸まって人を拘束までできちゃう便利な如意棒。

次はどんな風になるのか楽しみといえば楽しみです。案外、こんなものが子どもに受けたりするのかもしれません。

ただし、やり過ぎるとワクワク感が減るので難しいところです。

マネしたくなるようなものだといいのですが。

 

火ノ丸相撲

主人公の戦う必然性がずっとブレないのはやはり、『火ノ丸相撲』でしょう。

「誰もが認めるような横綱になりたい」

という想いで、才能はあるもののかなり小さい体で、ムリと言われながらも大相撲に自力で入り、苦労しながら番付を上げて、今回は優勝を狙います。

途中、やたら伏線を張っていたいい人、大包平も一蹴し、ライバルなんだかライバルじゃないんだかよくわからない、でもなんだかんだいって主人公の引き立て役になってしまう天才 三日月宗近こと沙田を撃破する鬼丸国綱こと火ノ丸(←本名。ややこしいな)。

その姿に、火ノ丸がまったく敵わなかった大横綱 刃皇も賛辞を送ります。

(ちなみにこれは刃皇の脳内の、「いろんな刃皇(感情)」です。つか、いすぎです。)

大相撲を知らない方に解説しておくと、大相撲は15日間戦って、勝ち星(勝利数)が同数の場合、「優勝決定戦」というのが行われます。そこで勝ったものが優勝できる「逆転のチャンス」があるので、そこで火ノ丸が横綱刃皇と再び戦うことになる・・・という展開になるはずです。

でも、そのためには、火ノ丸は、高校の時、一緒に相撲部を盛り上げてきた「部長」、小関(四股名 太郎太刀)を破らねばなりません。

 

高校の時に苦難を共にした相手と、どう戦うのか?

そして、最も最初に小関を認めた火ノ丸が、小関にどう苦しめられるのか??

ワクワクするような楽しみな展開になってきました。少年誌はこうじゃなきゃいけないと思います。

 

チェーンソーマン

ワクワクはしないけれど、まったく先が読めないのは『チェーンソーマン』。

今回は、私が想像したように死亡フラグが立ちまくった姫野先輩が活躍するかと思いきや、ただの演出キャラに成り下がっていた展開です。

「頭のネジがぶっ飛んでるヤツが悪魔を倒せる」という姫野先輩の言葉は、師匠の受け売りでした。

姫野先輩は、自分自身が、毎月墓参りを欠かさないようなマトモな発想をしていて、それを師匠にも指摘されたりしていましたが、今回、悪魔に言われるまま、主人公で味方の「デンジを食わせてしまおう」と、マトモな発想なのかもしれませんけど、少年マンガの味方キャラでそれやるヤツいる? というこの作者ならではの展開を見せてくれました。

しかし、そんな(リアルに考えれば)マトモな姫野先輩の発想を飛び越える、プッツン野郎がいたのです。

それが、主人公 デンジ。

名前がもう、デンジですよ。

デンジマンしか浮かばないのは世代かもしれませんが、チェーンソーマンなのにデンジってあなた。

しかもどう考えてもチェーンソーを起動するときに引っ張るひも(リコイルスターターというらしい)があるから、どう考えても「エンジン」チェーンソーなのに、デンジ。意味不明です。でも、そこがこの作品。

プッツン野郎デンジは、チェーンソーの(見た目カワイイ)悪魔ポチ太と一体化することで、生きながらえた、半分悪魔。

だから、血がなくなるとチェーンソーが引っ込む仕組みですが、血を飲めばそれが復活することに気がついちゃったから、さあ大変。相手が根を上げるまで切り続ける術を見つけちゃいました。

デンジがプッツン野郎だったことに喜ぶ姫野先輩、ショボすぎです。

「片目キャラ」は、『ナルト』のカカシ先生みたいに、「実は秘密の力が」あってもよさそうですが、ないようです。やばみ

結果、姫野先輩の役割は、デンジの戦いが終わるまで三日間不眠不休で見守るというだけに終わりました。

『呪術廻戦』の五条先生なんか、両目を隠していて、両目を出すと超強くなるのに・・・そういう展開が果たしてこの作品でやってくる日が来るのでしょうか?

とにかくクセのある球を投げまくるピッチャーのように、ひたすら独自路線を突っ走るチェーンソーマンは、意外と王道を行く『呪術廻戦』のように一年続くかわからない展開でした。たとえるなら、フォアボールをよく出す外国人投手みたいな。

でも、個人的には面白いと思います。

このまま媚びずに独自路線をテンポ良く投げてほしいと思います。そうすると、案外勝利が転がり込んでくるのが外国人投手の勝ち星だったりします。

 

今週のジャパン

広島ネタで『時をかける少女』がらみでした。

一体何のパロディかと思ったら、

時をかける少女

1983年の大林宣彦版の『時かけ』のジャケ写のパロディでした。作者、何年生まれよ!?

展開は、ジャパンを主人公とした広島をネタにした映画と撮る展開。のっけからよくわからないジャパンワールド炸裂していました。

そして、そんなジャパンは、マスラオが恋する女優とのキスシーンという展開・・・の前に、マスラオの妨害もあって、ゴロゴロ階段を転げ落ちたところ、ありがちな展開に。

なにげにここに大林宣彦をぶち込んでくるジャパン。

作者の年齢とセンスに脱帽です。野球に例えるなら、緊迫した場面でのスローカーブ・・・・勝負する気はあるんだけど、そういう勝負なのー!?って感じ。元巨人の岡島みたいな投球術です。

 

今週のネタマンガ

相変わらずのネタマンガ『神緒ゆいは髪を結い』。

今週ものっけから、定番の「濡れちゃった」シーンが、なぜかサブキャラのエビちゃんに。

ちなみにこの後にゆいが濡れるエロいシーンがありますが割愛します

でもこれも立派な「エビちゃん不在で主人公キイトが髪を結う」伏線。

封印していた鎖がほどかれ、黒ゆいになったゆいは、タオルパーカーだけを着た(と思われる)エロい格好で自由に動き回り、キイトが白ゆいになった時の心配をして追いかけます。

必殺金まき!

とにかく金があるからこそ出来る技で、とことんゆいを守ると決めたキイト。

男らしいんだか何だかわかりませんが、このマンガはきっとこの路線で行くのでしょう。いつかは飽きられるとは思いますが、作者のアイディアが続く限り続けてほしいものです。

投手で行くと、サイドハンドからクセのあるフォームで投げ込む中継ぎ投手という感じでしょうか? 最初っから普通じゃないので、それはそれでアリだと思います。

 

Dr.STONE

石化光線を出すメデューサを倒した英雄の名を冠した船、ペルセウス号

今回は、その全貌が明らかになります。男の子はこういうの好きでしょう!

・・・案外何もない。

ワンピースとは違うから仕方がないかもしれませんが、これではおもちゃ化しても売れなさそうですね!(余計な心配)

 

さて今回は、「知りたい」という欲求について禅問答。

千空いいこと言う!・・・・ともなれないのが素直な自分の気持ちですが、どうなんでしょうね。

個人的には、「科学者のロマン」が原爆みたいなものを作ることにつながるワケで、今話題の人工知能も、将来的には悪用されることがたやすく想定されるからこその非難もあります。

だけど、今は戦後からずいぶん経って、そういったものをタブー視するよりも、もっと前向きに捉えようという風潮があって、だからこそ生まれたのが、『Dr.STONE』のこの言葉なのかなと思います。
たしかに、「後のこと」を考えたら何も出来ないからねぇ。

最近は上記のような風潮があってか、「科学」というものにネガティブなイメージを持つ世代が増えているので、そういったこともあって、「科学は楽しいもんなんだぜ、ウェイ!」と言いたいのかもしれません。

難しいところですが、科学者は良心よりロマンや富を求めると危険ということでもあるので、この作品がそのことまでテーマにするかはわかりませんが、主人公である千空がE=mc2を大事にしているだけに、この辺のスタンスは変わらず、でも、科学技術の発展がらみで石化が行われたという設定で、未来のある子どもたちが「それでも俺らが覆すんだ」という展開になるのかなと思ったり。

子どもたちに人気の作品ですので、間違った方向にリードすることなく、良心を大事にする科学者を生み出す作品であってほしいものです。

まぁ、あれこれ考えずに、ド直球を投げ込むんだぜ男ならな! くらいの感じかもしれません。

 

切ない鬼滅の刃

『鬼滅の刃』は、鬼である猗窩座(あかざ)の人間(狛治)だった頃の記憶その②でした。

親の治療費のために盗みを働いていた暴れん坊、狛治。

フルボッコにされた達人の元で性根を入れ替えて仕事に励んだところ、あれよあれよのハッピー展開。

とりあえずお母さんの自殺は単なる介護疲れでの自殺で、特に深い意味はなかったようで、娘も狛治の言葉で生気を取り戻し、嘘のように元気な姿を見せます。そこで師匠に提案されたのは、娘と結婚して道場を継がないかという、まさに青天の霹靂な提案。

しかしこの後は衝撃の展開。

結局自分は何のために存在するのか。

自分の愚かさと惨めさを打ち消すように、大事な人を殺したと思われるライバル道場(こっちは生徒いないんだけど)に突入して、数十人を全員ムッ殺します

そしてそれを見た鬼舞辻無惨が鬼にスカウトし(殺し)、十二鬼月のトップスリー、猗窩座となった。

とにかく、「もっと強く」「もっと強く」。だからこそ、「弱い者」は存在価値がないとするのかもしれない。その辺は、「強き者は弱き者を助けなさい」と言われて育った、猗窩座が倒した炎柱 煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)との違いなのだろう。

猗窩座(狛治)が数百年、鬼の姿になり戦いに明け暮れたが、結局、自分が手にしたいものは何も手に出来なかったという究極の虚空

鬼になることは素晴らしいことだとする教祖さま(鬼舞辻無惨)にそそのかされた、不幸な身の上を持つ天才科学者みたいな感じですね。

でも、おそらく、昔の日本では、こんな不幸が山のようにあったのかなとも思います。陰の部分が。

『鬼滅の刃』は、そういうところを描く作品ですので、時代の中での不幸が鬼を生む土壌だったということでしょう。とくに猗窩座は童魔みたいに悪趣味ではありませんから、こういった背景が用意されたのかなと。

 

次号、首もなくなった猗窩座が、人間だった頃の過去の記憶を取り戻し、どういう形で「人としての」魂の救済がはかられるのか?

こうご期待(割とすぐに見られるけど)。

 

今週のアクタージュ

アクタージュは例によってこちら

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