多くの人が出来ていない、大切なこと
こんばんは、体の半分がマンガで出来ている田中聖斗です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
冒頭の言葉はもちろん冗談ですが、それくらい、私に影響を与えているのは、他ならぬマンガです。ほぼほぼ、マンガの影響で生きていると言っても過言ではないと言っていいくらい。
マンガしか読まなさそうなおバカキャラのイメージじゃないからか、そう言うと結構驚かれる方もいるのですが、マンガから学ぶことは多いですよ。
今、私は、「相対的貧困」による「教育格差」是正のための新たな取り組み、寺子屋プロジェクトというものをやっているのですが、勉強に限らず「子どもが抱えている問題」というのは、イコール、「親の問題」「教師の問題」であったりするな、と実感しています。
それは、親が悪いとか、教師が悪いとかではなく、「子どもが問題だ!」と思うその思考が問題というか。正確に言うと「親が(子どもを問題だと思う)問題」「教師が(子どもを問題だと思う)問題」という感じでしょうか?
たとえば、テストの点が、前のテストより下がったとします。
その時、皆さんはどう思いますか?
多くの人が「なんで下がったんだ!?」と思うかもしれません。思うだけじゃなくて、子どもを問いただす人もいるでしょう。
でも、その認識自体がそもそも問題だと言うことを気づいている人はほとんどいません。
ほとんどの場合、学校の「テスト」は、理解しているかどうかを「確認」するためのものです。ですから、何度も同じテストをすることはあまりありません。そう、毎回違うテストをしているハズなのです。
それなのに、前回と比べられる・・・・これは子どもの教育で一番おかしいことだと私は思います。
子どもの成長ということを考えると、「どれだけ成長できたか」という指標を、あくまでも理解度を測るための尺度である「テスト」で判断しようとすることが間違いなのです。
本当に「成長」を見たいのであれば、同じような問題のテストをやらせてみればいい。
そこで少しでも出来るようになっていれば、それは「成長している」と言えるでしょう。でも、そこでもダメな場合は「成長している」とは言えません。その段になって「なぜ出来なかったんだ?」と聞くのは間違いではありません。
出来るようにするための努力をサボってしまったとか、家庭の事情でとても勉強できるような状況ではなかったとか、はたまた、学習障害(LD)などの問題があって出来ないということもあるかもしれません。
でも、このプロセスをすっ飛ばす人があまりにも多い。
しかも、同じ尺度(テスト)で計らず、単元も難易度も置かれている状況もまったく異なるテストで計られるのです。こんな理不尽な方法があるでしょうか??
たしかに、サボって点数が上がらなかったということも実際にはあるので、前回と比較するという手法が通用しないわけではないのですが、それはもう、たまたま通用するだけです。
実際は、人間の行動は実に複雑な理由が絡み合っているものですので、一人一人置かれている状況が違うのですから、そこを見なければいけません。が、それができないのです。教育というものが、学校教育のような効率化を重視する一斉授業をベースにしていることも無関係ではないでしょう(家庭教師ならそんなことは絶対にしないから)。
そして、社会の風潮として「できていないこと」ばかり目に行くことに問題があるからです。
今回ご紹介するのは、そのことを実にシンプルに表現していたマンガのワンシーンです。
週刊少年ジャンプに連載中で、アニメ化、舞台化(いわゆる2.5次元)して人気のあるバレーボールマンガ『ハイキュー!!』です。
主人公たちの高校は、顧問・監督は国語の先生(武田一鉄)ですが、バレーボール未経験者です。
そのため、卒業生でもあるコーチ(烏養、うかい)に来てもらって指導(実際は監督も)してもらっていますが、時々、この武田先生がいいことを言うのです。名前からして、あの、の系譜にあるのだと思いますが、あんなキャラではなく、素朴に、ポロッと大事なことを言ってくれます。
間違ってることを「そうじゃない」って言うのは普通ですが
正しいことを「あってるよ」って言うことは少ない気がします
他にも名言や名シーン(コネもないのに合同練習を取り付けてきたり)もありますが、それはコミックスをご覧いただくとして、今回はあくまでも教育論として。
先にもあげたとおり、日本の考え方、とくに学校教育は、「できていないこと」に目が行きがちです。
それは時に「減点主義」とも言われたりしますが、ある基準があって、そこに到達するかしないかが問題視される考え方です。「東大に合格したら成功」「落ちたら失敗」という考え方もそうでしょう。「校則も守れないクズ生徒」とか、はたまた、役所や企業でも「失敗したら出世コースから外れる」なんてのもそうでしょう。
でも、今はそういったことが少しずつ「問題だ」と言われて、実際に失敗をくり返したけど成功したIT長者も出てきている世の中になっていることもあってか、その「減点主義」そのものを正しいと思う人の方が少ない。
でも、「ほめる教育」が大事だと言われ、「減点主義」も間違いだと思っているのに、実際にはしている・・・・そんなことが凄く多い。親も教師もそうだし、テレビのワイドショーでも、人の欠点をあげつらって評価したりするのも見かけます。
かくいう私も、「このマンガはこういうのが足らないんだよな~」と平気で言ってしまうので、その呪縛から解き放たれてはいないのですが、日本人だからなのか、それとも人間の性(サガ)なのか、こういう風になるのは仕方がないのかもしれません(自分に甘いわけではないですよ!)。
そういうことを鑑みての、この、武田先生の一言なんだと思います。
武田先生は自分がとにかく正しくて、「お前ら従えや!」という汗臭い教師ではなく、自分が言った言葉が「あれでよかったのかな」と考えたり恥ずかしがったりする先生です。
それだけ、子どもたちの立場になって考えようと言うことが出来る先生なワケですが、それでも、自身が教師として、そうやって「出来ていないことを間違ってると言う」ことはあると認めた上での、「素直に出来ていることを褒められる」烏養コーチの言動を褒めたのです。
でも、これはこれで中々できることではありません。
それは、自分が完璧なんだ、優れているんだという奢りを持たず、他人に対して、常に謙虚でいなければたどり着けない発想です。
そう、何からも「学ぶ」心構えがあるということです。
とくにこの武田先生は、バレーの素人として、顧問となったからにはバレーのことを学ぼうと必死なだけに、こういったコーチの何気ない言動にも気づけるのもあると思います。
最近の教育は、体罰禁止と言うことで、とにかく「褒めること」ばかり考えがちですが、ムリして褒めることよりも、ちゃんとできるようになっていることをきちんと認めてあげること、本当の子どもの立場に立った「成長」を認めてあげることが大事だなと、子どもと直で接していると痛感します。
そうしていれば、減点主義に走ったり、断罪したり、悪口を言っておとしめたり、いじめたり、子どもを追い詰めたりすることもなくなるのかなと思いますし、子どもたちは素直に、まっすぐ育つようになります。
大人が、「こうしよう」という枠に入れたがるから、子どもは反発するし、やる気がなくなるのです。
それは、子どもたちから学べることです。
でも、それをしない大人があまりにも多い。
とにかく、謙虚に、そしてしっかり見ること。そして、それを伝えること。
我々はこういったことを学ぶことが大事だなと思います。マンガに対してもそうじゃないでしょうか??
ちなみに今回のエピソードはまだ単行本化されていません。あしからず。