今週のジャンプは、「復讐」について考えさせられました
こんばんは、今週のジャンプと言いながら、平成発売なのにすでに令和になって一週間が経ちそうなことに焦っている田中聖斗です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今週のジャンプ(2019年22・23合併号)は、合併号らしくオールスターでドラクエ風なワンピースがメインでした。他もコスプレしてるんだけど、「鬼滅の刃」の炭治郎だけまんまのような・・・
(以下ネタバレ)
鬼滅の刃
鬼の急所であるはずの首をはねたけれども、なぜか体だけでも活動し続ける、敵方トップスリーの実力者 猗窩座(あかざ)。
人間だった頃の悲しい過去を二週にわたってふり返ったのち、現代に戻って来たのですが、それで心が救われるわけでもなく、むしろ、「今さら大事な家族と一緒の天国に行けるわけでもないから!」と、人間を食い物にする鬼の心を取り戻していきます。
そんな時、主人公の炭治郎、ぶっ飛ばされていて気絶していましたが、目が覚めて、猗窩座の首が再生していることに気づいて慌てて斬りかかりますが、すでにボロボロな体、刀が手からすっぽ抜けてしまいます。
しかし、そこは僕らの主人公、炭治郎。
開き直って大胆な行動に出ます。
とりあえず殴る!!
握力ないから刀がすっぽ抜けたのに、それでもなんとか握りこぶしを作って、気合いで猗窩座にパンチ!
まさかの展開ですが、これが猗窩座に思わぬことを引き起こします。
昔、父親が死んでやさぐれていた時に、鉄拳でフルボッコにされた師匠を思い出したのです。
破壊衝動に駆られて、相手をぶちのめす。
それは鬼としては当たり前のことだったけれども、人間としての記憶を取り戻した猗窩座は、父親の治療費のために鬼子として盗みや暴力を働いていたのを、父親が死を持って咎めたというのに、そのために自暴自棄になり、道ばたでであった師匠がその鉄拳でまっとうな道を歩けるようにしてもらったことを思い出します。
それは、師匠が、炭治郎と同じ、「まっすぐ」な人だったからでしょう。
自分のことよりも、他人のために力をふるえる人間。
では、自分は?
師匠とその娘であり、自身の婚約者を殺した連中に「復讐」をするために拳を振るい、何十人と撲殺した。人は、自らの行いを正しいと思っている時は強いですが、自分が正しいと思うアイデンティティを根幹から揺るがすような存在、自身が捨てた未来を持っている存在には弱いものです。それが、師匠であり、炭治郎だった。
猗窩座は、復讐の鬼となった。
でも、彼の「暴力」は基本的にはいつも、人のためだった。
方法が間違っていただけだった。でも、そのために取り返しのつかないことが起きた。
そのことを受け入れず、鬼の頭領 鬼舞辻無惨の手によって鬼にされ、それを忘れた(忘れ去られていた)。
そして、大事なことを思い出した猗窩座は、「誰を殺したかったのか」を思い出す。
それは、自分。
猗窩座は自分に対して、奥義を繰り出します。
てっきり自分たちのことを攻撃してくると思って、義勇に体当たりして攻撃圏内から離れようとした炭治郎は、その時の猗窩座の顔(そして臭い)に「感謝」を感じます。
自身の繰り出した技でボロボロになった猗窩座。
しかし、上弦の参と呼ばれる上位の鬼は、再生力が半端なく、自身が望まないにもかかわらず、穴だらけになった自分の体を、本人の意思とは無関係に再生し続けます。
自分は、勝負に負けたのだ。自分が行きたいのは・・・
地獄だ。
猗窩座は、意識の世界で、亡くなった父、そして師匠に会います。
たくさんの人を惨殺してきた猗窩座。
天国には行けないが、オマエの存在を否定はしないと。いい師匠です。
しかし、そこに割り込んで髪をグシャッとつかむのは、猗窩座を鬼にした、鬼舞辻無惨。オマエはそういうのじゃなく、とにかく強くなりたかったんだろうが!と叱咤というか再洗脳します。
まさに鬼!
しかし、殺戮マシーンとしてまた再生しようとする猗窩座にはもう一人、自分のことを止めてくれる人がいました。婚約者です。
「ありがとう」
というのはなかなかないセリフですが、でも、よくよく考えると、こういった考えに至るのが自然なのかな、と思いました。
よく、サスペンス物で、「殺された人は、復讐することは望んでない!」なんて言葉がありますが、あれじゃぁ止まらんのじゃないかと思ったりしますよね。
その点で、この「ありがとう」という言葉は重いですね。
誤解のないように言っておくと、あくまでもこの「ありがとう」というのは、殺された自分たちに復讐してくれて「ありがとう」と言っているのではなく、「守らなければいけなかったんだ」と、そこまで強く想うこと、そのことに対して「ありがとう」と言っているのです。
だからこそ、そのあとの、
「もう充分です」
につながるんですね。
猗窩座(狛治)は、鬼である鬼舞辻無惨に殺されて、鬼になった。
それはある意味、成仏できない地縛霊みたいな存在だったのかもしれません。
行き所のない怒りを、「強さ」を追い求めることに置き換えて、ひたすらそのことだけを考えるための道を歩く機械となったのが、鬼としての猗窩座なのでしょう。
そして、その「強さ」も、炭治郎の剣によって敗北し、この世に執着していた猗窩座の魂は、執着の原因となっていた大事な人たちの言葉でもって、成仏へと向かい、不死と思われた猗窩座の肉体は再生をやめ、朽ち果てていきます。
散々多くの人を殺してきただけに、天国には行けませんが、それでも、終わりのない旅を続けるよりも、自分のした過ちと向き合って生きていく「覚悟」を持てたことが、猗窩座もとい、狛治の本当の「強さ」を身につけた証ではないでしょうか?
『鬼滅の刃』は「鬼」というテーマを扱っているだけに、安易に勧善懲悪にはせずに、鬼たちにも鬼たちの悲しい過去があって、でもそれを倒さなければならない中での、主人公 炭治郎の毒のない、純粋な存在を通じて、せめて人間として死ねることでカタルシスが得られるのがいいですね。
それだけなら珍しくないですが、これがワンパターンな展開にならないところが凄い。まさか猗窩座が首を斬られても再生するとは思いませんでしたもん。
火ノ丸相撲
「強さ」を追い求めると言えば、火ノ丸相撲ですね。
今回は、「部長」こと、小関がメインの回。
初回から登場しているキャラですが、ヤンキーに部室を占領されたり、大会で一回も勝てなかったりしていたのも、そんな過去がなかったかのように活躍を続け、今では大相撲の世界に飛び込んで、なんと今は新入幕※にもかかわらず、優勝争いしています。
※新しく幕の内(=テレビでよく写る人たちのトップリーグ)に入ったこと
しかし、そんな小関にも、パッとしない時期がありました。
同部屋で同い年の、自分たちの世代のトップであり大関、童子切こと天王寺に、厳しい稽古をつけられ、ついには逃げ出したのです。
そもそも、ヘタレだった自分が、なんで大相撲の未来をしょって立つ人間の一人である天王寺に稽古をつけてもらって、大して結果も出ない上に、才能も注目もあるわけじゃないのに続けている理由・・・それを見失った小関は、高校の時のように、主人公 潮火ノ丸(四股名:鬼丸)となぜ一緒の部屋に入らずに、他の部屋に入門したのか自問自答しながら、火ノ丸がいる柴木山部屋をのぞきに行きます。
そこで目にしたのは――
右手を骨折しても黙々と一人四股を踏む火ノ丸の姿でした。
それにしても、きれいな四股ですね。
きれいなだけの四股ではいけませんが、立ち技しかない格闘技である相撲は、足腰の強さが最も重要です。
火ノ丸のような小兵には、なおさらそれが重要になり、だからこそ、このような高く足を上げてもまったく体がブレず、またそれができるだけ鍛えていることを一瞬でわからせるワンシーンに意味があります。ケガをしても、他の人が見ていなくても、自分一人でも、やれることをやる。体格で劣るからこそ、体を鍛える。
その姿を見て、何も感じないのは男じゃない!
小関のように、弱気の虫が出て、「自分は才能がないから」と言ったりする気持ちはよくわかります。私もしょっちゅうです。
でも、プロの世界は、才能だけでやる所ではありませんし、何より入ることが目的ではありません。続ける方が大変です。それは、才能だけでは決してできないことです。
小関は、体も百キロ超えの体重といっても、組んで強いと言っても、あくまでもそれは高校生レベルでの話で、大相撲の世界では全然武器でも何でもない。その現実を突きつけられて、小関の中の「心」が折れたんでしょうね。
このマンガでは、大相撲でよく言われる「心・技・体」の中の、「心」の部分に凄くフォーカスを当てていますが、それは、小関にも言えることでした。火ノ丸のように横綱を目指しているわけでもなく、高校で驚異的な実績を残したわけでもなく、驚異的な稽古をしてきたわけでもなく、身長が190cmを超えるとかでもないし、火ノ丸や天王寺のように「国宝」と呼ばれるような将来の大相撲をしょって立つ驚異的な才能があるわけでもない。
相撲が好きと言っても、天王寺のようにひたすら取り組みを見て研究するわけでもなく、ごくごく平凡な、ちょっと太った、一人の相撲好きの、相撲部員。
そんな、小関は、火ノ丸に比べたら、はるかに恵まれた体型をしています(火ノ丸157cm、小関173cm)。それでも火ノ丸は、身長制限のある大相撲に入って、なんなら幕内の最高位である横綱になりたいんだと言い続ける。そして、そのための努力を誰よりもしている。
それを間近で見て来た小関は、一勝もできなかった自身の「心」の弱さを乗り越え、高校で勝てるようになった。
そして、大相撲に入って再び、火ノ丸のそういった姿を見た小関は、「ある目的」のために大相撲に入ったことを思い出し、人が変わったように、文字通り血がにじむ稽古を重ねます。
「俺は潮(火ノ丸)の……ライバルになる為にここに来たんだ……!」
大相撲でどうなりたいかじゃない。
大相撲の世界でも突き進む火ノ丸と、戦っていきたいんだ!
失意のまま雨に打たれて消えかかっていた「心の火」を入れ直し、稽古に励み、その結果、小関は優勝争いに入り込み、翌日の千秋楽(15日目、最終日)に、火ノ丸と取り組みになります。この熱い展開が、『火ノ丸相撲』らしくていいですね。
大相撲はプロ野球と同じくリーグ戦ですから、「横綱らしく」でムリした結果引退することになった稀勢の里みたいなのよりも、実際は白鵬みたいに「ムリせず休場」したりするクレバー方が成績が伸びたりするものですが、火ノ丸や小関はあくまでもまだまだ若手で、そんな余裕ぶっこいていちゃいけません。
実際、今の大相撲も、貴景勝みたいな新しい世代の突き上げがあるからこそ、大相撲が面白くなるというものですし、なんだかゴチャゴチャ「らしさ」とかそういうことを考えずに、とにかく「上に行きたい!」「強くなりたい!」「あいつを負かしたい!」という、シンプルな想いでガムシャラになるのが大事なんだと思います。
とはいいつつも、火ノ丸相撲は週刊マンガらしく、ちゃんとオチもつけて次回の取り組みに興味を持たせます。
次回の取り組みは――
鬼丸(潮火ノ丸)vs五条家!
まぁ、取り組み後の勝利者インタビューで、高校の時のマネージャーであり、五條礼奈レイナに公開プロポーズした火ノ丸。
それを見た父親(大学病院の副院長)に、呼び出されたという状況ですが、どうなるんでしょう???
よりにもよって、優勝がかかる前日にね!
これがきっと、千秋楽の取り組みにプラスに働くんだと思うんだけど・・・次号が楽しみです。
今週のネタマンガ
恒例のネタマンガ『神緒ゆいは髪を結い』は、のっけからネタ走りしていました。
自宅にシャワー付きのトレーニングルームを作れるお坊ちゃんが、颯爽と塾に行く姿が、歴史上一番カッコイイ「塾に行く」って、おかしくね?
とか、とりあえずツッコミどころが毎回あって楽しいマンガです。今回終了したネオレイションは完全に負けました。この作品や『ジモトがジャパン』のようにギャグはギャグに走る、『約束のネバーランド』みたいにシリアスはシリアスに走る、という方が固定読者がついていいのかもしれませんね。
というわけで、私は完全にこの作品の虜です・・・コミックス買うまでではないですが、雑誌なら読みます。
今回はこの、キイトの部屋に行くというお話でしたが、エビちゃんのキャラがどんどんヤバい方に行っていますが、いったいこの子は何者なんでしょうね??
「巨乳モノならいいですけどね しばったりとかダメですよ」
・・・オマエがキイトに、髪の毛を縛らせてるんだろがッ!!
というツッコミを思わずしてしまったのは私だけでしょうか??
そういえばこの間、年頃の子どもがいる人たちとバーベキューに行って、「男の子なのにノックもせずに部屋に入ってきても嫌がらない、掃除も平気」と言っていた母親がいましたが、今の子たちは、スマホとかで動画を見るからですよ! だいたい、コンビニのエロ本が縮小している=手に入れられるエロ本も少なくなってるわけなんで、今時の子が書籍媒体でエロをストックしておくとは思えません!!